1. 生涯と即位への道のり
平民からの出世:元々は平民の身分でしたが、初代国王ダビンシュウェティーとは乳兄弟(幼馴染)の間柄でした。
王の右腕として:軍事的才能に優れ、若くして最高司令官(副王)となり、王朝の基盤固めに大きく貢献しました。
王朝の再建と即位:1550年に先王が暗殺され、国が一度バラバラになります。バインナウンは瞬く間に敵対勢力を制圧し、1551年に自ら第2代国王として即位しました。
2. 圧倒的な軍事功績(東南アジアの覇者)
ポルトガル人の傭兵や最新の火器(鉄砲など)を巧みに取り入れ、瞬く間に近隣諸国を征服していきました。
ビルマの統一:ペグー、プローム、アヴァといった国内の主要都市を次々に陥落させ、ビルマ全土を再び統一しました。
タイ(シャム)への侵攻:1558年にチェンマイ(ランナー王国)を攻略。さらに、1564年と1569年の2度にわたりタイのアユタヤ王朝を陥落させ、アユタヤを属国(傀儡国家)としました。
ラオスへの遠征:1574年にはラオスのビエンチャン(ラーンサーン王国)まで遠征し、支配下に置きました。
3. 内政と文化面の功績武力だけでなく、広大な帝国を維持するための優れた統治制度も整えました。
度量衡の統一:国内の重さや長さの単位(度量衡制)を統一し、商業と経済の発展を促しました。
仏教の普及:征服したシャン地方(ビルマ北部)などに上座部仏教を伝え、広く信仰させました。
悪習の禁止:シャン族の土侯(領主)が亡くなった際、奴隷などを一緒に生き埋めにする「殉死」の悪習を禁止しました。
白象の所有者:仏教国において神聖視される「白象」を数多く所有していたことから、「シンビューミャーシン(多数の象の所有主)」とも呼ばれました。
4. 帝国の最期とその後の影響
1581年、さらなる領土拡大を目指しアラカン国(現在のミャンマー西部)へ遠征する途中で病没しました。彼の死後、あまりにも急速に拡大した帝国は各地で反乱が相次ぎ、急速に衰退へと向かうことになります。タイ(アユタヤ)でも、後に「タイ三大王」の一人となるナレースワン大王が立ち上がり、ビルマからの独立を果たしました。
現代における評価
ミャンマーでの評価:国家を一つにまとめた「三大英雄(大王)」の一人として現在も絶大な人気誇ります。タイとの国境に近いコータウンやタチレクなどの街には、今も彼の精悍な武人姿の巨大な銅像が建てられています。
タイでの評価:タイの歴史書では「ブレーンノーン」という名で頻繁に登場し、「歴史上最も恐るべき宿敵」でありながら、その卓越したカリスマ性と軍事の天才ぶりから敬意を込めて語られることも少なくありません。