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Republic of the Union of Myanmar ミャンマー連邦共和国の歴史

Republic of the Union of Myanmar ミャンマー連邦共和国

タウングー王朝 (14世紀頃から~1752年)

バインナウン王

1. 生涯と即位への道のり
平民からの出世:元々は平民の身分でしたが、初代国王ダビンシュウェティーとは乳兄弟(幼馴染)の間柄でした。
王の右腕として:軍事的才能に優れ、若くして最高司令官(副王)となり、王朝の基盤固めに大きく貢献しました。
王朝の再建と即位:1550年に先王が暗殺され、国が一度バラバラになります。バインナウンは瞬く間に敵対勢力を制圧し、1551年に自ら第2代国王として即位しました。

2. 圧倒的な軍事功績(東南アジアの覇者)
 ポルトガル人の傭兵や最新の火器(鉄砲など)を巧みに取り入れ、瞬く間に近隣諸国を征服していきました。
ビルマの統一:ペグー、プローム、アヴァといった国内の主要都市を次々に陥落させ、ビルマ全土を再び統一しました。
タイ(シャム)への侵攻:1558年にチェンマイ(ランナー王国)を攻略。さらに、1564年と1569年の2度にわたりタイのアユタヤ王朝を陥落させ、アユタヤを属国(傀儡国家)としました。
ラオスへの遠征:1574年にはラオスのビエンチャン(ラーンサーン王国)まで遠征し、支配下に置きました。

3. 内政と文化面の功績武力だけでなく、広大な帝国を維持するための優れた統治制度も整えました。
度量衡の統一:国内の重さや長さの単位(度量衡制)を統一し、商業と経済の発展を促しました。
仏教の普及:征服したシャン地方(ビルマ北部)などに上座部仏教を伝え、広く信仰させました。
悪習の禁止:シャン族の土侯(領主)が亡くなった際、奴隷などを一緒に生き埋めにする「殉死」の悪習を禁止しました。
白象の所有者:仏教国において神聖視される「白象」を数多く所有していたことから、「シンビューミャーシン(多数の象の所有主)」とも呼ばれました。

4. 帝国の最期とその後の影響
 1581年、さらなる領土拡大を目指しアラカン国(現在のミャンマー西部)へ遠征する途中で病没しました。彼の死後、あまりにも急速に拡大した帝国は各地で反乱が相次ぎ、急速に衰退へと向かうことになります。タイ(アユタヤ)でも、後に「タイ三大王」の一人となるナレースワン大王が立ち上がり、ビルマからの独立を果たしました。

現代における評価
ミャンマーでの評価:国家を一つにまとめた「三大英雄(大王)」の一人として現在も絶大な人気誇ります。タイとの国境に近いコータウンやタチレクなどの街には、今も彼の精悍な武人姿の巨大な銅像が建てられています。

タイでの評価:タイの歴史書では「ブレーンノーン」という名で頻繁に登場し、「歴史上最も恐るべき宿敵」でありながら、その卓越したカリスマ性と軍事の天才ぶりから敬意を込めて語られることも少なくありません。

コンバウン王朝 (1752年~1885年)

コンバウン朝のアユタヤ征服(1767年)のまとめ
1.年代:1767年4月(14ヶ月に及ぶ包囲戦の末に陥落)
征服した側:ミャンマー・コンバウン王朝(第3代国王シンビューシン)
征服された側:タイ・アユタヤ王朝(最後の国王エークタット)

2. なぜコンバウン朝が勝てたのか?
(戦術の特徴)コンバウン朝は、それまでのミャンマー王朝とは異なる画期的な戦術を用いました。
二方向からの同時進軍:北(チェンマイ方面)と南(テナセリム方面)からアユタヤを挟み撃ちにしました。
雨季の克服:従来は水没を恐れて雨季の前に撤退していましたが、コンバウン朝の軍は高地に陣を張り、雨季の間も包囲を解かずにアユタヤを兵糧攻めにし続けました。

3. 征服の結果:アユタヤ王朝の「完全な滅亡」この征服は、1回目の征服(1569年)のような「属国化」にとどまりませんでした。
都市の徹底的な破壊:王宮、仏像、寺院、歴史記録がすべて跡形もなく焼き払われ、破壊されました。住民の強制連行:王族や職人を含む数万人のタイ人が、労働力としてミャンマーへ連行されました。

アユタヤ王朝征服のまとめ

1. 最初の征服(1569年・タウングー王朝による)
 タウングー王朝のバインナウン王は、1558年にラーンナーを征服したあと、1569年にアユタヤも攻め落としました。
ラーンナーとの違い:ラーンナーはその後200年間ずっと支配され続けましたが、アユタヤはわずか15年後(1584年)にナレースワン大王がミャンマー軍を追い返し、独立を回復(国家が復活)しました。

2. 2度目の征服と滅亡(1767年・コンバウン王朝による)
 コンバウン朝の軍勢がアユタヤを攻め落としました。この時は、街や王宮が跡形もなく徹底的に破壊され、王統(王の血筋)も途絶えたため、アユタヤ王朝は復活することなく完全に「滅亡」しました。

どちらもミャンマーに武力で武力支配された「征服」ですが、その後の運命が異なります。
ラーンナー:征服され、そのまま長期間「属国(植民地状態)」が続いた。
アユタヤ:1回目は征服されたがのちに「独立回復」し、2回目は征服されて完全に「滅亡」した。