1945年から1950年までのインドネシアは、「インドネシア独立戦争(国民革命期)」と呼ばれる、激動の時代にあたります。
1945年8月17日、スカルノ及びハッタがインドネシアの独立を宣言。スカルノが初代大統領に選出。
1945年 - 1949年:独立戦争
再植民地化を狙うオランダとの間で激しい武力衝突が続きました。
この間、1948年には共産主義者による反乱(マディウン事件)なども発生し、内政も混乱を極めました。
1949年:連邦制での主権移譲
ハーグ協定により、オランダから「インドネシア連邦共和国」としての主権移譲が認められました。
1950年:単一共和国への統合
連邦制を解消し、現在と同じ「インドネシア共和国」という単一制国家に再編されました。
1955年バンドンで「アジア・アフリカ会議」開催。
1965年軍部と共産党との緊張の高まりを背景に「9月30日事件」が発生。
この事件を契機として、東南アジア最大の共産党であったインドネシア共産党は壊滅し、スカルノは失脚
翌1966年3月11日、スカルノ大統領は権限をスハルトに一部委譲。
1968年スハルト大統領就任(第2代大統領)。
1998年アジア通貨危機をきっかけに、ジャカルタを中心に全国で暴動が発生。民主化運動も拡大し、スハルト大統領は辞任。ハビビ大統領就任(第3代大統領)。
1999年住民投票により東ティモールの独立が決定。ワヒッド大統領就任(第4代大統領)。
2001年メガワティ大統領就任(第5代大統領)。
2004年国民による初の直接投票によりユドヨノが大統領に選出。ユドヨノ大統領就任(第6代大統領)。
2005年ヘルシンキ和平合意(独立アチェ運動(GAM)との和平成立)。
2009年ユドヨノ大統領再任。
2014年ジョコ・ウィドド大統領就任(第7代大統領)
2019年ジョコ・ウィドド大統領再任
2024年プラボウォ・スビアント大統領就任(第8代大統領)
スマトラ島のミナンカバウ社会
インドネシアの西スマトラ州に住むミナンカバウ人は、世界最大規模の母系制社会を維持しており、そのアイデンティティは「アダット(伝統慣習)」と「イスラーム」の融合によって形成されています。19世紀初頭のパドリ戦争(Padri War)は、この母系制とイスラームの教理が衝突し、最終的に共存の道を探る転換点となりました。
近現代史のリーダーを輩出: インドネシア独立運動の父ムハンマド・ハッタなど、多くの知識人や指導者がこの文化圏から生まれており、国家建設の文脈でも重要です。
スラウェシ島の山岳地帯に住むトラジャ族~独特な死生観:死者との暮らし~
先史時代の移動(紀元前2500年〜3000年頃)
人類学的な研究によると、トラジャ族の祖先は約4,000〜5,000年前(紀元前2500年〜3000年頃)に、中国南部やインドシナ半島から海を渡ってきたオーストロネシア語族の移民であると考えられています。
独自の文化形成(10世紀〜19世紀末)
10世紀頃: 巨石記念物(メンヒル)など、現在の葬儀儀礼につながるメガリス(巨石)文化の痕跡はこの頃から見られます。
「トラジャ」としてのアイデンティティ(20世紀初頭〜)
1909年: オランダ植民地政府が、高地に住む人々をまとめて「トラジャ(ブギス語で『高地の人々』の意)」と名付けたことで、一つの民族としての認識が定着しました。
キリスト教の伝播(1913年〜): オランダ人宣教師によりキリスト教が広まりましたが、彼らは伝統的な葬儀儀礼を捨てるのではなく、キリスト教と独自の風習を融合させる道を選び、現在の形になりました。
インドネシア領としてのパプア(西パプア)
ニューギニア島の西半分はインドネシアの領土であり、複数の州(パプア州、西パプア州など)に分かれています。
ニューギニア島の東半分は独立国家のパプアニューギニア(Papua New Guinea)です。パプアニューギニアの人々とインドネシア側のパプア住民は、文化や民族(メラネシア系)としては共通点が多いですが、統治の歴史(西はオランダ、東は英独)が異なります。
バリ島:マジャパヒトによる征服(1343年)
ジャワ島を本拠地とするマジャパヒト王国の名宰相ガジャ・マダが、バリ島を武力で征服しました。これにより、それまでバリ島を治めていた古代の王朝(ワルマデワ朝の流れを汲む勢力など)による統治が終わり、マジャパヒトの属領となりました。
統治拠点の確立と「ゲルゲル王国」
征服後、マジャパヒトから派遣された貴族スリ・アジ・クレスナ・カパキサンがバリ島南部のゲルゲルに拠点を置き、マジャパヒト流の政治体制を導入しました。これがゲルゲル王国の始まりであり、バリ島の貴族制度の基礎となりました。
ジャワ貴族の「大移住」と文化の完成(15世紀〜16世紀)
ジャワ島でイスラム勢力が台頭し、マジャパヒト王国が崩壊すると、イスラム化を嫌ったジャワの王族、貴族、僧侶、芸術家たちが、ヒンドゥー教の伝統を守るために一斉にバリ島へ逃げ込みました。
文化の継承:この移住により、ジャワ島で失われつつあった高度なヒンドゥー・仏教文化、文学、儀式、カースト制度がバリ島に持ち込まれ、現在の「バリ・ヒンドゥー文化」が完成しました。
マジャパヒトの末裔: 現代のバリ人の多く(特に貴族階級)が「自分たちはマジャパヒトの末裔である」という強い誇りを持っているのは、この大移住がルーツだからです。