ウルグアイ東方共和国 Oriental Republic of Uruguay
近代(独立と国家形成)①東方州の誕生(1811年~)
1. 1811年:独立運動の勃発と「東方州」の誕生 植民地時代のウルグアイ一帯は、ウルグアイ川の東側に位置することからスペイン語で「バンダ・オリエンタル(東方岸・東方地域)」と呼ばれていました。 ・五月革命への呼応:1810年に隣国アルゼンチンのブエノスアイレスでスペインからの独立を目指す「五月革命」が勃発。これに呼応する形で、1811年2月にアルティガスがスペイン軍を離脱し、地元のガウチョ(牧童)らを率いて一斉蜂起しました。 ・ラス・ピエドラスの戦い(1811年5月18日):アルティガス軍はスペイン王党派軍を激しい戦闘の末に撃破します。この歴史的勝利により、アルティガスはバンダ・オリエンタルを「東方州」として組織し直し、事実上の自治政府を樹立しました。 2. 連邦同盟の結成とブエノスアイレスとの対立 アルティガスが目指したのは、単なる一国独立ではなく、ラ・プラタ地域(現在のアルゼンチンやウルグアイなど)が対等な立場で結びつく「連邦制」の国づくりでした。 ・中央集権派との決裂:貿易の独占と中央集権化を狙うブエノスアイレス(アルゼンチン)の政府と、地方の自治を重んじるアルティガス(連邦派)は激しく対立しました。 ・連邦同盟の指導者へ:アルティガスは周辺のいくつかの州と「連邦同盟」を結成し、独自の赤線をあしらった「アルティガスの旗」を掲げてブエノスアイレス政府に抵抗しました。 3. ポルトガル軍の侵攻と東方州の消滅(1816年〜1820年) 独立勢力同士の国境付近での内紛を見た隣国ブラジル(当時はポルトガル・ブラジル連合王国)が、この隙を見逃しませんでした。 ・ブラジルへの併合:1816年、ポルトガル軍が東方州へ大規模な侵攻を開始。アルティガスらはゲリラ戦で抵抗を続けたものの、1820年に最終的な敗北を喫し、彼はパラグアイへ亡命を余儀なくされました。 ・シスプラチナ州への改称:占領された東方州は、1821年にブラジルの一州である「シスプラチナ州」(ラ・プラタ川の手前の州という意味)として強制的に組み込まれ、東方州の名は一度地図から消えることになります。 4. 「33人の東方人」とウルグアイ東方共和国へ(1825年〜) しかし、東方州の住民たちの独立への情熱は消えませんでした。 ・再蜂起と独立宣言(1825年):アルティガスの意志を継いだフアン・アントニオ・ラバジェハら「33人の東方人」と呼ばれる志士たちが亡命先から潜入し、再び解放戦争を開始。1825年8月25日にブラジルからの独立を宣言しました。 ・緩衝国家としての承認(1828年):その後、アルゼンチンとブラジルの間で激しい戦争(シスプラチナ戦争)へ発展。最終的にはラ・プラタ川交易の安定を求めたイギリスの仲介により、1828年に両大国の「緩衝地帯」として完全な独立が認められました。 ・1830年の憲法制定:正式に憲法が制定され、国名はかつての東方州にちなみ「ウルグアイ東方共和国」となりました。 1811年にアルティガスが組織した「東方州」は、大国の思惑や侵略に翻弄され一度は瓦解したものの、その連邦主義と自由への精神が現在のウルグアイという国家の礎となりました。
近代(独立と国家形成)➁大戦争(1839年~1851年)
ウルグアイの歴史において、1830年の憲法制定から「大戦争(Guerra Grande:1839年〜1851年)」の終結までが、まさに国家の枠組みと国民的アイデンティティが形成された「近代史(初期国家形成期)」の決定的な大詰めにあたります。 1. 2大政党の誕生:コロラド(赤)とブランコ(白) 独立直後のウルグアイは、初代大統領フルクトゥオソ・リベラと、第2代大統領マヌエル・オリベという、かつての独立の英雄2人の対立から始まりました。この対立が、現在のウルグアイにも続く2大政党のルーツとなります。 ・コロラド党(赤党):リベラ派。首都モンテビデオの商人や知識層、外国人(フランスやイギリス)の支持を受け、自由主義的・親欧米的な立場を取りました。 ・ブランコ党(白党):オリベ派。地方の地主(エスタンシエロ)やガウチョ、伝統的な保守層の支持を受け、ナショナリズムや地方の自立を重んじました。 2. 「大戦争」の勃発(1839年〜1851年) 大統領の座を追われたオリベ(ブランコ党)が、隣国アルゼンチンの独裁者ロサス(連邦派)の軍事援助を受けてウルグアイに侵攻。これに対し、リベラ(コロラド党)がアルゼンチンの亡命者(集権派)や英仏と結んだことで、一国の内戦を超えた「国際的な大戦争」へと発展しました。 ・モンテビデオの大包囲戦(1843年〜1851年):オリベ率いるブランコ党・アルゼンチン連合軍が、首都モンテビデオを9年間にわたって包囲しました。この間、首都側(コロラド党)は英仏の艦隊から支援を受け、イタリアの英雄ジュゼッペ・ガリバルディ(赤シャツ隊)もコロラド側として参戦しました。 ・「2つの政府」の並立:包囲された首都の「防衛政府(コロラド党)」と、包囲側の地方を支配するオリベの「セリート政府(ブランコ党)」という、2つの政府が国内に同時に存在する異常事態が続きました。 3. 戦争の終結と「勝者も敗者もない」 1851年、アルゼンチン地方の有力者ウルキサがロサス独裁打倒のために政変を起こし、ウルグアイのコロラド党やブラジル帝国と結んだことで、大戦争の均衡が崩れました。 ・和平協定(1851年10月8日):長引く戦争に疲弊した両派は、「勝者も敗者もない(Ni vencedores ni vencidos)」という歴史的なスローガンのもとで和平を結びました。 大戦争がウルグアイ近代史に遺したもの この12年間に及ぶ大戦争の終結を境に、ウルグアイは一つの大きな節目を迎えます。 ・国家主権の確立:アルゼンチンやブラジルという大国の介入を排除し、独自の国家としての独立性が(多大な犠牲を払いつつも)国際的に固定化されました。 ・近代化への出発点:戦争によって地方の牧畜業は壊滅的な打撃を受けましたが、これ以降、ヨーロッパからの大規模な移民流入、鉄道の敷設、羊毛生産の導入など、ウルグアイは急速な経済的近代化へと舵を切ることになります。 1811年の東方州の蜂起から始まったウルグアイの近代史は、この「大戦争」という試練を経て、ようやく一つの独立した「近代国家」として結実しました。