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メキシコ合衆国 United Mexican Statesの歴史

メキシコ合衆国 United Mexican States

激動の9年間に起きたこと

フランス軍を追い出した後、メキシコがディアスの独裁に至るまでの背景には、3つの大きな要因がありました。

1. 英雄フアレス大統領への不満
 フランスの侵略から国を守り抜いたベニート・フアレス大統領は、国民的英雄でした。しかし、彼は政情を安定させるために権力を集中させ、1871年に4選目の大統領選挙に打って出ます。これに対し、「民主主義に反する」と激しく反発した一人が、フランスとの戦争で活躍した若き将軍ポルフィリオ・ディアスでした。

2. ディアスが掲げた「再選禁止」のアイロニー
 1871年、ディアスは「大統領の再選禁止」をスローガンに掲げてフアレスに反乱を起こしました(ラ・ノリア計画)。この時は失敗し逃亡しますが、翌年にフアレスが心臓発作で急死したことで特赦されます。後を継いだレルド大統領が1876年に再選を狙った際、ディアスは再び「再選禁止」を大義名分にクーデターを起こし、ついに政権を奪取しました。(※後に自身が30年以上も再選を繰り返す独裁者になるのは、歴史の大きな皮肉です)

3. 秩序と経済発展への渇望フランスの介入前も含め、当時のメキシコは独立以来、何十年も内戦と外国の侵略(米墨戦争など)が続いていました。国は荒廃し、国民や地主、そして外国の投資家たちは「自由や民主主義よりも、とにかく政情が安定してほしい」と強く願っていました。この混沌とした9年間があったからこそ、後にディアスがもたらす「強権による秩序と近代化」が受け入れられる下地ができてしまったのです。

まとめ
 フランス第二帝国が崩壊した1867年から、ディアスが権力を握る1876年までの9年間は、メキシコが「外国の支配」を脱したものの、「国内の権力争い」で揺れ動いた過渡期でした。ディアスはこの時期の混乱を巧みに利用し、「秩序と進歩」を掲げて30年以上の長期独裁(ポルフィリアート)へと突き進むことになります。

メキシコ革命が起きた最大のきっかけは、30年以上に及ぶポルフィリオ・ディアスの長期独裁(ポルフィリアート)を打倒するためです。

1910年、ディアスが自由選挙の約束を裏切り、7回目の大統領再選を強行したことに対して国民の怒りが爆発し、メキシコ革命(1910〜1920年)が勃発しました。

なぜ国民はディアスを打倒しようとしたのか?

ディアス政権は鉄道の敷設や外資の導入により、メキシコに劇的な経済発展と「秩序」をもたらしました。しかし、その裏で社会の歪みが限界に達していました。

・「再選禁止」の嘘:かつて自分が再選反対を掲げて政権を奪ったにもかかわらず、自身は憲法を変えて何度も再選を繰り返し、30年以上も権力を独占しました。

・土地の略奪と貧困:近代化の名のもとに、先住民や農民の共有地が強制的に没収され、一部の大地主や外国資本に格安で払い下げられました。国民の9割以上が土地を持たない小作人に転落し、奴隷のような過酷な労働を強いられました。

・富の独占と弾圧:経済発展の恩恵を受けたのは、ごく一部の特権階級と外国人だけでした。これに抗議する労働者のストライキは、軍隊によって武力で徹底的に弾圧されました。

革命勃発の引き金

(1910年)1908年、ディアスは外国のインタビューで「メキシコは民主主義の準備ができた。1910年の選挙には出馬せず、野党の立候補も歓迎する」と発言しました。
 
 これを信じた自由主義的な指導者フランシスコ・マデロが「再選反対」を掲げて立候補すると、大衆から絶大な支持を集めます。脅威を感じたディアスは、選挙直前にマデロを逮捕・投獄し、不正選挙によって自らの7選目を強行しました。

 脱獄してアメリカに亡命したマデロは、1910年10月に「サン・ルイス・ポトシ計画」を発表。「1910年11月20日、一斉に武器を取って立ち上がろう」と国民に呼びかけ、これがメキシコ革命の公式な始まりとなりました。

ディアスの失脚と革命の長期化

マデロの呼びかけに応じ、メキシコ全土で反乱が起きました。

・北部では、義賊出身のパンチョ・ビリャ
・南部では、「土地と自由」を掲げて農民を率いたエミリアーノ・サパタ

 彼らゲリラ部隊の猛攻により、ディアス政府軍はたちまち追い詰められます。革命開始からわずか半年後の1911年5月、ディアスはついに大統領を辞任し、フランスへ亡命しました(これによりディアス打倒という当初の目的は達成されます)。

 メキシコ革命は、ディアスの独裁と、彼が作った不平等な社会を壊すために始まりました。しかし、ディアスという共通の敵を倒したあと、「誰が新しい国を作るか」「土地をどう農民に返すか」を巡って革命派の間で激しい内戦が始まり、革命が完全に終結するまでにはさらに約10年の歳月がかかることになります。

革命の終結

1. 1917年憲法までを区切りとする場合(7年間)
 革命の大きな成果である「1917年メキシコ憲法」の制定(1917年2月)までを激動期とするなら、期間はまさに7年間です。この憲法によって、土地改革や労働者の権利、政教分離などが定められ、近代メキシコの法的枠組みが完成しました。

2. 革命全体の終結を1920年とする場合(10年間)
 歴史教科書や研究では、メキシコ革命の期間を「1910年〜1920年の10年間」と表記することが一般的です。なぜなら、1917年に憲法ができてもすぐに平和は訪れず、以下のように指導者たちの暗殺や内戦が続いたからです。
・1919年:農民の英雄エミリアーノ・サパタが暗殺される。
・1920年:憲法を制定したカランサ大統領がクーデターで暗殺され、オブレゴンが大統領に就任してようやく国内が安定する。

まとめ
 憲法制定という法的な区切りで見れば、ご指摘の通り7年間(1910〜1917年)です。武力衝突が収まり国が安定した時点までを含めると、一般的に言われる10年間(1910〜1920年)となります。